A棟にお住まいの、金子六郎さんによる人形と一眼レフカメラで作り出すファンタジックな世界「綾さまと絹子ちゃん」をお届けします。金子さんは横浜の「人形の家」友の会の会員であり、また雑誌や各地での個展などでも活躍されています。
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金子 六郎
永年勤めた理工系大学の定年を迎えたのは、平成元年、63歳の春でした。いままでの仕事をつづけて社会へ貢献するのも立派な生き方とは思いますが、第二の人生というのだから、いままで、全く経験したことのない暮らしをしようと決めました。
鉄道の模型も夢だったし、ピアノを両手で弾けるようになってショパンの幻想即興曲までたどりつけたら素敵だな、定年間際から始めた産業考古学の研究もしてみよう。なにか物作りの趣味もしてみたいなど、いろいろと考えました。
そんなとき、テレビのテキストで、土田早苗先生の市松入形作りが目にとまり、娘が嫁いで淋しくなった部屋の飾りにでもと思い立ちました。
テキストは親切に書かれていてどうにか作り上げましたが、テキストより頭を小さくして大人の人形に仕立てました。
出来上がって、在職中の仕事に縁のある糸偏のつく名前にしようと、「綾さま」と名前をつけました。それが綾さまとのおつきあいの始まりでした。
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■ 「この着物の柄を見て! お花見は桜模様なの」
テキストの市松入形は、足を投げ出して座るタイプでした。
始めはケースに入れて部屋の飾りにと思っていたのですが、脚に針金の骨を入れて正座できるようにしたり、手足を粘土で作ったりして、自分なりに改造しているうちに、いつのまにか魂が入ったと見えて、そのうちに「綾さま」が口をききだしました(もちろん、ウソコ)。これはお人形を愛でる入にはよくある現象なのだそうです。
私の往んでいる松戸・流山の辺りは、まだ自然が残っていて、散歩するのが楽しみなところです。
綾さまが家族の一員になってから、「一緒に散歩に連れて行って」というので、自転車であちこち連れ歩いて、お話をしているうちに、綾さま物語が出来上がってきました。
『綾さまは、じつは平原という名家の奥方でしたが、不幸なことがあって、乳母であった私の家内を頼って落ち延びてこられました。
その途中、姫様の絹子ちゃんとはぐれてしまい、じいや(私のこと)が必死に探しまわりました。そしてある人形屋で、お世話になっているのを見つけて、めでたく親子の再会がかないました。
そして、噂を聞きつけて集まってきた木綿子・繭子・紬・鹿の子などの家来と、じいやたちに囲まれて、幸せな毎日を過ごしております』というのが綾さま物語です。後に熊のP子とB子も加わりました。
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■ 「秋ってどうしてこんなにさびしいの
絹子なんだか悲しくなってしまう」
二入は「もっと着物を縫っておくれでないか」とか、「たまには勉強をおし」とか、毎日、いろいろなことをいうのです。疲れて帰ってくると「ご苦労であった、疲れたであろう」なんていってくれたかとおもうと、「なにか美味しいものをお作り」などと、わがままをいったりするので、生活に潤いや.節節目ができるのも、綾さまの効果の一つでしょうか (お主筋なので、威張った口調で話すのです)。
そのうち、自然の景色の中に綾さまたちをセットして、手軽なカメラで写真を撮ってみました。それがなかなか変わった感じの作品で、あちこちの人に見せては面白いといわれて喜んでいました。
ところが、写真にうるさい弟子の一入から、「道楽としてやられるのなら、上級のカメラで、しっかり撮ったほうがよい」とアドバイスがあったのです。
早速、一眼レフを引っ張り出し、撮影法の初歩も勉強して、撮りはじめたのがこの綾さま写真です。
自然の中にお人形をセットするには仕掛けも必要です。下が土なら菜箸をさして綾さまたちを支えます。セメントなどの所は、鉛の重りに棒を立てた補助具を使います。
菜の花畑のように、地面より高いところにセットしたい場合は、写真の三脚の上に板を取りつけて、適当な高さにし、花の中に綾さまたちをセットします。ときどき、その板が写って失敗することもあります。
写真家にアドベイスされ、入形の目の高さにレンズを置くと、入形の世界に入り込めることを知りました。皇后様が、子供や老人としゃがんでお話をされるのと同じ原理です。
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■ 「おてんばはやめて下りてらっしゃい」
また、四季折々に、撮影のポイントを探索して歩くのも楽しみで、流山で、畑の真ん中に一本の桜が凛として咲き誇っているのを探し当てた時の楽しさは、忘れられません。彼岸花とか、枯れ草の原とか、あちこちに撮影のポイントを持っていますが一年たって行ったら宅地になっていたなんてこともママあります。
家の近所に限らず、遠い所では、沖縄、高い所では谷川の天神平など、各地にお連れして撮りますか、とくに大和路がお好き。奈良・斑鳩・佐保持路・山辺の道・西の京なビ、すいぶんあちこちを旅しています。
関西には面白い入が多く、撮影していて仲良しになると、通り掛りの入に「この人、可愛い人形の写真撮ってまっせ。見てみなはれ」と宣伝してくれます。
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■ 「困ったわね、迷子になってしまったようよ」
「大丈夫よ、じいやが迎えにきてくれるわよ」
富士山麓
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■ 「大和はいいわね」
「池にカメがたくさんいるわ」
奈良唐沢の池
娘のつれあいが海外勤務で、ニューヨークへ行っていたので、綾さまたちも、三回もNYへ行きました。住まいは郊外の静かな住宅地で、自然が豊かで好適なポイントが一杯、綾さまと仲良しの孫たちと一緒に、楽しい撮影ができました。
小旅行へ行くときもお連れしてパチパチ。でも綾さまと絹子ちゃんの一番のお気に入りは、やはり、マンハッタン。五番街・セントラルパーク・メトロポリタン美術館などあちこちで撮影しました。
アメリカでは、ご婦入たちから、「ビューティフル! ファンタスティック!」などと声がかかり、「このお人形の名前は?」と何人もの人から聞かれました。レディーあやアンド・ミスきぬこ、と教えると喜んで、私も日本入形が好きとか、着物持ってるとかいって、小さな国際親善の輪ができたこともあります。中には綾さまを売ってくれといって、じいやを慌てさせた人もいました。
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■ ティファニーは見るだけ夏の五番街
「じいやはなにも買ってくれなかったね」
ニューヨーク
綾さまたちの着物は、テキストにあった型紙で裁断して、ばあや(家内)に習ったミシンで背と脇を縫い、襟だけ手で縫います。略式でオクミは無し、柄によっては二部式の仕立てにします。
袷・単衣・浴衣など、母子合わせて百着以上。帯が百五十本、その他、小物、髪飾りなど多数、専用の箪笥に入りきらないほどの衣装持ちで、ばあやがうらやましがります。
季節に応じ、撮影のポイントによく合うように、着物・帯・帯締め・帯揚げなどの柄を選んで、きちっと着付けをするのも毎日の楽しい作業。始めの頃の写真を見ると、下手な着付けでかわいそうになります。
問題は布地ですが、始めは照れ臭かった生地屋も今は平気で、お人形に合うような細かい柄の生地(主にコットンプリント)を探します。
東京はもちろん、横浜・神戸・大阪・奈良・ウィーン・NY・ロマンティック街道の町など、世界中の生地屋を訪ねて回りました。綾さまにと、着物・はぎれなどを下さる方もおられますので、今やわが家の材料棚は満杯です。
綾さまたちは、いつか暮しの手帖に紹介された繊維博物館のサークルの皆さんや、横浜入形の家の友の会の方々とも顔馴染み。あちこちと顔が広くなり、綾さまや、絹子ちゃんにと、座布団・本仕立ての着物や帯・絹の帯締め・紅型染・本べっこうの櫛・たくさんの紐など、さまざまな品を贈っていただきました。
帯揚げの簡単な結び方を教えてくれた難波の呉服屋さんなど、慈しんで下さる多くの人たちに囲まれて、綾さま母子は幸せな暮らしをしております。
じいやが定年になってから始めた独学のピアノも、なんとか人前で弾けるようになり、友人のピアノ教室の発表会に、賛助出演でショパンの雨だれなどを弾けるようになりました。このときも、二人で、心配そうに見ていてくれました。
ピアノは指や手はもちろん、目・頭・耳・足と、体中を使うので、ボケ防止に最高なのだそうで、稽古をなまけていると、「今日はピアノは弾かないの、ボケちゃいますよっ」と絹子ちゃんに叱られるので、少しずつでも、毎日、かならず弾くようにしております。今や幻想即興曲に挑戦中です。これも綾さま効果の現れです。
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■ 「ここはローマのバチカン?」
東武ワールドスクウェア
さて、幼児の頃から、じいやを可愛がってくれた親類のお婆さまもファンの一人で、立派な座布団を作って下さったりお小遣いまで頂戴し、二人を喜ばせました。後にこのお婆さまが亡くなったときは、じいやとは別に平原綾・絹子というお香典もお供えして、ご葬儀にも参列致しました。
ところで、横浜人形の家の展示会にも、毎回、綾さま写真を参加出品しますが、昨年からは、勧めてくださる方があって、可愛いギャラリーで個展、また、繊維博物館でも個展を開かせていただいて、たくさんの方々から、「メルヘンの世界に遊ばせてもらった」と、喜んでいただけました。写真の下に「ままごとの幼き夢や蛇苺」とか「睡蓮の花すがすがし初夏の風」というような自作の雑俳と、母子の対話を記したカードを付けましたら、これが、なかなか好評でした。
綾さま写真を撮ったり見せたりしていると、始めのうちは、「あの入も、年齢でちょっと、おかしくなったのでは」なんて陰口をたたく人もいたようです。
しかし、価値観の多様化時代といわれて久しいのに、男はゴルフか碁・将棋、女は手芸か芸事などと決めて、それ以外のことをすると変わり者扱いすることのほうが、よほど、おかしいのではないでしょうか。
綾さまの生みの親の土田先生からも、「好きな趣味に男も女もありません」とお手紙をいただき、知人の画伯にも「この写真を見ていると、人間とお人形のあいだに対話が成立していますね」と励ましの言葉をいただき、自信を深めて、ますますのめり込んでいます。
このせわしない、何やら恐ろしい世の中を離れて、一時をお伽噺の世界に遊び、子供たちには優しさを、大人たちには安らぎを取り戻していただくためにも、じいやは、綾さま写真を撮りつづけたいと思っております。